記憶の作業は…

  • 『1998年10月23日聖教新聞寸鉄『竹入(義勝の)「回顧録は私の体験のほんの一部」。学歴・金脈・宝石等々、全部出せ。』 1998年8月の「朝日新聞」で公明党元委員長・竹入義勝回顧録を掲載。ところが、思わぬ墓穴を掘り、40年近く経歴詐称していた事実が発覚した。このことに党OBが非難轟轟。週刊誌で言い訳を言うお粗末なことに。さらに実弟が「第三文明」で怒りの手記を出すなど公明党の大事件が起きた。竹入義勝は、過去の悪事をすべて隠して、自慢話しただけでそれで党OBから嫌われたか計り知れない。私がやる2011年9月から2012年12月の16か月の記憶を書く作業は、竹入のような「私の体験のほんの一部」にしないであのときあったことをこの際、すべて書いて、思っていたことを吐き出したいです。あのとき、思っていたことを書いて、そして、あのときを記してみたいです。』
  • 小生が2017年4月8日に書いたブログから。

竹入義勝の偉業じゃなかった日中国交

  • 朝日新聞竹入義勝回顧録問題は、公明党の議員に欺かせた一大汚点を残した事件だった。「庶民の党」ともいうべき公明党が結党当時の34年目で竹入の悪事が党OBの証言で発覚。竹入によって腐敗された公明党の再結党に向けて元議員から結党精神に返って出直しをという声もいた。
  • 回顧録で「日中国交はオレの手柄」と自慢ぶった竹入。しかし、あれは「池田大作の手柄」で「池田大作が成しえた偉業」ではないか?
  • 池田大作が日中国交に尽力したことについて、1998年秋に公明新聞で党OBの二宮文造氏が手記の中で指摘。また、池田大作が日中国交の橋渡しした点は「新・人間革命」でも書き記されている。(最近では2015年5月ごろ、聖教新聞「新・人間革命」「革心」の章で触れてる)実は、竹入の手柄ではなかった。
  • 都議選や近いうちにあるかもしれない衆院選。昨年夏の参院選に初当選の公明党の議員は忘恩の途・竹入が犯した罪を全員が反省して、もう1回立党精神を肝に銘じてほしい。竹入の悪事は無関係では済まされない。
  • >エセすすきさん、竹入がじくじったこと。あなたにもあるよ!
  • >そういえば、オンバトサポーターであなた、一大汚点を残したから、次に生かすこと考えなさい!

2016年1月1日に浮かんだこと

  • 1999年4月4日付の聖教新聞寸鉄から 『「革命は、敵の息の根を止めるまで」と(文豪)ユゴー。追撃の手をゆるめるな!』
  • 確かに竹入は40年も大ウソついたこと。さらに、愚法主日顕池田大作氏に「驕慢謗法」と声高になり、秋谷栄之助氏には「懲罰を受けてやる」と怒鳴った。悪人の典型は嫉妬である。(さらに、戸田城聖の息子も退転した噂がある)
  • 2016年1月1日に日顕・竹入以外にも卑しい性根の芸人が身近にいたことに怒り、その人たちを許したらいけないと思った。西島永悟日顕のような居丈高と文田大介の竹入のような大ウソつきだ。そういう悪い奴を許したらいけないと思い始めた。さらに大嘘の芸人もいたのでうそつきを信用したらいけない。その濁流を止めるのが、無視である。うそつきは無信用でいくしかないのだ。これが(悪)芸人を息の根を止める一歩だ。
  • >エセすすきさん、この話、長すぎ。ここはそんな話をする場じゃないよ!

2012年3月の記憶

  • 日顕、竹入、公明党寸鉄創価学会関連の言葉があったが、その理論誌が「大白蓮華」 2012年3月号は第747号でした。では、第747号だった2012年3月のことを書きます。
  • 大白蓮華」の誌上セミナーでナイツが講演したのが2012年3月号でした。ただ、ナイツの有名のあまり、天狗になっていると危惧してる。有名で偉くなると思い上がると確かにいけないことだ。
  • エレキコミックは笑いの世界に17年いて、17年も謙虚で賢いと思う。2016年11月25日の「ラママ新人コント大会」で出待ちして、2人の謙虚さを短時間で学んだものだ。
  • イソップの言葉に「うぬぼれは自滅を招く」そうならないようにするのだ大事だ。私もその一人です。
  • >2012年3月の記憶でも何でもないじゃん

2012年3月の記憶

  • では、もう1回。2012年3月の記憶
  • 「サワダヒロタの部屋」で書いたことだが、「マンスリーよしもとPLUS」2012年3月号のフォトシリーズで登場のLLR・福田恵悟のグラビア挑戦。幻想的で妖精がひとり寝そべってる美しい写真だった。それを見たとき、心が洗われる思いがした。福田恵悟の写真なかなかの出来でした。「マンスリーよしもとPLUS」で掲載した写真集発刊が2011年8月。これ以降、尾形貴弘佐久間一行のは幻となったので、もし2013年まで続いたら、どんな出来になったのでしょうか?
  • 一方、「ing to 2012」は、1ページしか掲載されず、盛り上がったライブだったが、話題にならず、悲しい記憶しかなかったです。

2012年3月の記憶

  • NHKアーカイブスで2012年3月に公開したのが「あの人に会いたい」乙羽信子。1985年の大河でその後、紹介もされない幻の作品「春の波濤」27年ぶりに公開と2012年3月はそんな思い出がある。
  • 春の波濤」は、テレビで全く紹介されない大河のイメージがあったので公開はうれしかったことがある。そういえば、番宣を兼ねて1984年12月に「連想ゲーム」でゲストとして風間杜夫松坂慶子が出演したそうだ。(番組発掘プロジェクトのニュースで風間杜夫提供のDVDで寄贈の際にその文字があった。実は、録画したのは、1984年2月29日放送の「連想ゲーム」だった)
  • 春の波濤」大正時代の日本を描いた異色作の大河でした。

2012年3月の記憶

  • 3月22日に∞ホールへ行き、そのときのライブにうんざりしながら帰ったが、たまたまつけてラジオがTOKYO FMの「スクール・オブ・ロック」だった。聞きなれた声がしたら、実はグランジ遠山大輔だった。私もそれから何度も聴いているが、このラジオでまた楽しく学校に行ってる気分で送れるラジオです。
  • だが、あのときのライブが偽物だったことはもっと後のことだった。さて、これは748回目以降に

2012年3月の記憶

  • この記憶の中で書いておかないといけないのが、ブログ再開。再開した時の言葉も無責任で勝手なことを書いたと思う。私がここで何度も決意しても無責任なことを書いてるので、言葉は人をどうとらえるかの武器と思う。∞ホールに行って、思うが、笑いというのは言葉であって、言葉でどう客の心をつかむかが勝負の世界と思う。ひとことひとことがカギと思うが、そのことについては748回目以降に機会あれば書きます。

やすらぎの郷の(とんでもない大)事件

  • 4月3日スタートの「やすらぎの郷」。出演中の浅丘ルリ子を見て、私がかつて投稿された「浅丘ルリ子」と「佐藤オリエ」は似てるの投稿を思い出し、「山根良顕」と「佐藤オリエ」に似てる人を自分でつなげたいがために、しかも「土曜は寅さん」放送前、「寅さん」のマドンナ役のリリーがBSジャパンでと悪意に満ちた投稿「山根良顕」と「浅丘ルリ子」は似てると投稿。これを書く私がどれだけバカでブログで書くから、バカの上塗りをさせたわけです。
  • 2011年4月7日に私と年の近い女性を叩いたということがあった。その人がどれだけ痛かったか今なら分かる。だが、6年後に起きた私がネットで投稿の「山根良顕」と「浅丘ルリ子」似てる事件は、浅丘ルリ子をぼこぼこに叩いたばかりか、「やすらぎの郷」近くの森で大げんかして、浅丘ルリ子が坂からすり落ちて、血まみれの大けがと瀕死の重傷をさせることをした。そして、それを見たものが泣き叫んで、悲鳴を上げた大事件が起きた。今度の事件。犯行はそういうことを自分でしてしまったわけです。暴力や自作自演の狂言犯行もいけない。暴力は人を不幸にさせる。ネットでも同様なのです。
  • どうでもいいことだが、朝ドラ「おしん」で23歳のおしんが佐賀で一人東京へ行こうとしたところを夫・竜三に止められて大げんか。雑木林でおしんは崖のところで大けが。瀕死の重傷に。それを見た幼い雄が泣き叫ぶシーンがありました。そんなことを思い出してしまった。(おしんのDVD第13巻目の最終シーンがこれです)
  • また、ネットの犯行。「山根良顕」と「光本幸子」は似てるも「山根良顕」と「佐藤オリエ」は似てることでペアにされてない同士をと。「土曜は寅さん」前のテロ投稿。「光本幸子」は男に似てるという悪意な投稿。ネットの犯行に社会に悪影響及ぼすのです。
  • >エセすすきさん、こわすぎ。トラブル起こすか心配だ。

747回目の最後に

  • 747回目の最後に当時のそのまま書いて、748回目となる。その前に最新ハヤシダユウイチ情報。
  • まず、「見ない」と書いて、のぞいたとお詫びを。で、彼が最近、岡晴夫の出演した番組はおぼろげな記憶を頼りにいい加減なことを書いたことをお詫び。利用者に謝罪。自分が懐メロ番組に詳しいと言いながら、彼のひけらかしが不満で傲慢さが嫌いだった。私の知ってる量と彼の詳しすぎるけたが違い過ぎて、彼にはついていけなかった。
  • 彼の最大の謎は笠置シヅ子がなぜ懐メロ番組に出演したいきさつやNHKの1960年代から70年代までの歌謡番組を詳しいか。それが謎だ。特に笠置シヅ子が歌手をやめて亡くなるまで歌わなかったことが本当に気になる。
  • それでは、おまけに2012年3月10日と2012年3月31日のを再録して、747回目の「日ごろの話題」は終了。

再録・2012年3月10日の(これからの決意)の話題

  • 「みなさん、こんにちは。エセすすきです。東日本大震災から明日で1年です。でも、私は、30代ですが、この1年。いろいろあって、大きな出来事が多い気がするんです。でも、これからは、この地震が起きて、5年、10年経とうと「達観主義」で通していきたいです。日本は、だんだん萎えてるから、萎えはダメです。やっぱり「楽観的に」「強気」じゃないといけないですよ。これがないといけないですね。私も40、50となるが、「達観できる」自分になっていきたいです。これがないといけないです。もうすぐ31になるが、もう強気に行きます。」
  • >エセすすきさん、これポエムですか?

再録・2012年3月31日の(これからの3月)について

  • 「今日で3月が終わる。しかし、これからも3月が来ようと特別な存在の月と思わないです。「3・11」を特別な日に仕立てるが、しかし、3月には、地下鉄サリン事件成田エクスプレス運行開始、武蔵小杉駅横須賀線開業といろんな3月があります。なので、これからも3月を特別な意義ある月にせず、いつも何も思わないで迎えていけるようにしたいです。3月に終わるにあたって、そう書きたいです。」
  • →確か3月というのは躍動の春なので、前進の春で行こう。

再録・2012年3月31日の本当に(戦後日本は不滅の言葉)

  • 「さらに、「3・11」のあと、「日本は「戦後」ではなく「災後」が使われる」という論調があった。しかし、私は、「戦後日本は不滅」と思っていました。1年経って、「戦後日本は不滅」と実感してます。1945年8月15日が日本の再出発の日です。昭和は62年14日でした。その1945年8月15日の再出発した日からの62年14日はすでに上回りました。これからも「戦後70年」「戦後80年」の日本を迎えようと「戦後日本は不滅」と信じたいです。 さて、東日本大震災の日が2011年3月11日ですが、その昭和が62年14日を達する日を書いておきます。2073年3月25日です。その日が来るまでまだまだ長いものです。今1割についたついてないかばかりです。」
  • →ということで、今日は10個+3ということになりました。
  • >すごい、すごい考えだ。そういえば、エセすすきさん、2007年8月29日は、終戦から62年14日に達したと言ってるかも。